アメリカスポーツのみならず日本のプロ野球等でも、多大な功績を残したプレイヤーの使用した背番号を、その人物の栄誉と栄光の歴史を末永く称えるために、団体内で対象となった人物のみが使用できるように欠番にする永久欠番。
長い歴史と伝統を誇るニューヨーク ヤンキースは2014年に引退したデレク ジーターの背番号2が永久欠番になったことによって一桁の番号が全て永久欠番となりました。
その中でもMLB史上初の永久欠番となったレジェンド、”ルー ゲーリック”。
ニューヨーク生まれ、ニューヨーク商業高校、コロンビア大学からのヤンキース入団となったゲーリックは入団3年目からはチームの看板選手、あのベーブ ルースの直接指導で才能が開花しレギュラーに定着。
のちにこの二人の二枚看板を中心とした強力打線は「マーダラーズ・ロウ」(殺人打線)と呼ばれ1927年はMLB史上最強と称されるチームとして語り継がれているそうです。
ヤンキース一筋の現役生活の中で当時の世界記録となる14年間、2130試合に渡って連続試合出場を果たすなど、その頑丈さから「鉄の馬」と称されました。
その間数々のタイトルを獲得、1934年には三冠王を獲得しております。
しかし、体調不良を理由に連続試合出場が途切れた後、体力が落ち始め治療法のない難病が判明、引退から二年後の37歳の若さでこの世を去りました。
こちらは引退の年に行われた「ルー ゲーリック感謝デー」での歴史的な名スピーチの映像。
「ファンの皆様、ここ2週間に私が経験した不運についてのニュースをご存知でしょう。しかし、今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています。私は選手として球場へ17年間通い続けてきましたが、いつもファンの皆様からご親切と激励をいただきました。
こちらにいらっしゃる偉大な方々をご覧下さい。例え一日でもこのような方々とともに同じ場所にいられることは最高の栄誉ではないでしょうか? 私は間違いなく幸せ者です。ジェイコブ・ルパートと知り合えて名誉だと思わずにいられない人がいるでしょうか? 最上の野球帝国を築き上げたエド・バローと知り合えたことを名誉だと思えない人は? 6年間過ごしてきた素晴らしい小さな仲間でもあるミラー・ハギンスと知り合えたことは? その後の9年間を、卓越した指導者であり、人の心理を読むことに長けた、知る限りもっとも素晴らしい監督のジョー・マッカーシーと知り合えたことを名誉と思わない人は? そんな人はいないでしょう。私は間違いなく幸せ者なのです。
ニューヨーク・ジャイアンツという、常に闘争心を駆り立ててくれたチームの選手から贈り物をいただき、グラウンド整備の担当者やホットドッグ売りの少年たちからも記念のトロフィーを貰えるなどということも素晴らしいという以外にありません。妻との口喧嘩の際に自分の娘よりも私に味方してくれた素敵な義母、さらに両親が懸命に働いてくれたおかげで私が教育を受けられ、そして立派に育つことが出来ました。私は神の祝福を受けたのです。比類のない強さを持ち、考えていた以上に勇気のある女性を妻に出来たことほど嬉しいことはありません。
つまりは、私を不運だとおっしゃる方もいるかもしれませんが、数え切れないほど多くの人々からの愛情を受けている私の人生は本当に幸せなものなのです。
ありがとう。」
伝記映画「打撃王」(1942年)がございますので皆さま、ぜひご覧になってみてください。
ちなみに背番号制が導入されたのがゲーリックの現役途中の1929年だったため、ヤンキースの背番号4を着用したのはゲーリックのみとなります。
そんなメジャーリーグ初の永久欠番をお部屋に飾ってみてはいかがでしょうか。
(Staff鈴木)